↓原題「THE ELEVATOR」
↓気弱で口達者なロディー・マクドウォール
↓閉所恐怖症のジェームズ・ファレンチノ
↓孤独をお喋りで紛らす老婦人マーナ・ロイ
↓強盗役の紅一点のキャロル・リンレー
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1970年頃から、アメリカの3大ネットワークでは、劇場公開
された作品のテレビ放映が底をつき、映画放映枠でテレビ局が
制作した映画を放映しました。当時は、映画放映枠で放映された
テレビムービーを、テレフィーチャーと言っていました。
この映画も1974年に、アメリカでテレビ放映用として制作された
テレフィーチャーです。
同じ頃、映画放映枠とは別枠で、1話完結の1時間半~2時間枠の
サスペンスドラマも放映していました。
「刑事コロンボ」シリーズは、1話目と2話目のパイロット版
(その放映に対する視聴者の反応を見て、シリーズ化出来るか
どうかを判断するバージョン)のみテレフィーチャーでしたが、
3話目からサスペンスドラマ枠で、放映されています。
アメリカより10年弱遅れて、日本でもサスペンスドラマ枠が
誕生しました。最初は1時間半枠でしたが、
後に2時間枠になってから一気にブームを起こしました。
しかし粗製乱立が目立ち、「刑事コロンボ」シリーズのような
傑作サスペンスシリーズは、見当たりません。
日本では、映画放映枠でテレビ局が制作した映画を放映する場合、
サスペンスドラマ枠で放映する作品よりも、
完成度が高い事をアピールする狙いがあります。
最近では、テレビ局が制作する映画の公開に合わせて、
その前日談等を、映画放映枠で放映し、PRする狙いもあります。
「恐怖のエレベーター」は、テレフィーチャー黎明期の作品で、
この頃はCMを含めて1時間半枠の作品が多く、
この作品も1時間半枠で、本編は78分とコンパクトです。
ビデオ化もDVD化もされていませんが、テレビでは人気が高く、
度々放映されているので、ご覧になった方も多いと思います。
1974年は、翌1975年に日本で公開されたパニック映画が、
数多く制作された年で、「タワーリング・インフェルノ」
「大地震」「エアポート75」といった正統派パニック映画から、
「ジャガーノート」「サブウェイ・パニック」といったサスペンス
映画まで、パニック映画として宣伝されました。(アメリカでは、
ディザスター・フィルムと呼称していました。)
パニック映画が大流行するきっかけとなったのは、「ポセイドン・
アドベンチャー」(1973)の大ヒットであり、私も、この映画を見て
映画ファンになりました。「エアポート75」の元である
「大空港」(1970)は、パニックシーンのスペクタクルよりも、
様々な人間の行動を描くグランドホテル方式(群像劇)でした。
しかし、「ポセイドン・アドベンチャー」は、転覆した船から、
数人の男女が対立しながらも協力する脱出劇になっており、
「恐怖のエレベーター」も、同様の脱出劇で、傑作となりました。
1974年に制作された上記3本の正統派パニック映画は、
パニックシーンのスペクタクルに重点が置かれているため、
人間の行動を描く部分が、散漫になっています。しかし、
「恐怖のエレベーター」は、テレフィーチャーで制作費が少なく、
パニックシーンのスペクタクルを作れなかった事が、良い方に働き
脱出劇をメインとする事が出来ました。また、コンパクトな
放映時間が、脱出劇を散漫にする事を防いでいます。
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