↓原題「THE LAST VOYAGE」
↓邦題「最後の航海」
↓船長に直訴する夫ロバート・スタック
↓鉄材に挟まれた妻ドロシー・マローン
↓綱渡りの娘タミー・マリヒュー
↓優柔不断な船長ジョージ・サンダース
↓チーフのエドモンド・オブライエン
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この映画の2年前に、「SOSタイタニック」(1958)が公開され、
話題となった事がきっかけで作られた映画です。
絶対に沈まないと言われた豪華客船タイタニック号が、
処女航海で氷山を避けきれずに沈没した、
20世紀最大の海難事故は、何度も映画化されています。
特に、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの
ラブ・ストーリーを縦軸に、沈没する豪華客船を横軸に描いた
「タイタニック」(1997)は、日本洋画史上歴代トップを記録・
保持する大ヒットとなりました。
「SOSタイタニック」は、史実に忠実に描かれた
ドキュメンタリータッチの映画であり、モノクロの画面と、
スケッチ的な映像が、冷徹なタッチを活かした作品でした。
しかし、この映画はフィクションであり、娯楽映画に徹した
作風です。解体される予定の老巧化した豪華客船を、
実際に半分沈めながら撮影されたカラー映像は、
CGではない本物の迫力で迫ります。
パニック映画という言葉は日本語で、私が映画好きになるきっかけ
となった「ポセイドン・アドベンチャー」(1973)から使われました。
アメリカでは、ディザスター・フィルムと呼ばれ、
「大空港」(1970)が、流行のきっかけになりました。
「大空港」では、様々な人間の行動を描くグランドホテル方式
(群像劇)の描写が秀逸であり、以降の作品でも踏襲されました。
しかし大半のパニック映画は、パニックが起こるまでの平凡な
群像劇に終始し、映画の序盤を退屈させる結果を生んでいます。
「最後の航海」は、パニック映画ブームの10年以上前に作られた
作品であり、パニックが起こる前の退屈な群像劇はありません。
映画の冒頭ですぐに火災が発生し、船の安全弁を溶かします。
その意味では、パニック映画の作劇法が確立される前に作られた
作品である事が、功を奏しています。
船底での大爆発を少しでも遅らせようと必至に働く乗組員。
沈みゆく老巧化した豪華客船を擬人化したナレーション。
自分の船が沈む事を信じられず、右往左往するばかりの船長。
親娘3人の乗客が小爆発に遭遇し、穴にしがみつく小さな娘を
何とか救い出したものの、鉄材に足を挟まれ身動き出来ない妻を、
助けあぐねている夫と、序盤から見どころは盛り沢山です。
パニック映画の作劇法であれば、群像劇で描くはずの乗客の行動を、
親娘3人に集約させ、親子愛・夫婦愛を全面に出して縦軸とし、
沈没する豪華客船を横軸に描いた作劇法は、後の「タイタニック」
(1997)を作る時の参考になっているかも知れません。
また、沈みゆく船の情報集めに必死で、乗客の避難命令を出さない
優柔不断な船長は、どこかの国の首相と重なって見えます。
妻を助けるために乗組員の協力を得ようと船長に直訴する夫と、
乗組員を船底から待避させる事が先決だと主張するチーフとの間に
挟まれた船長は、「乗組員より乗客の方を優先せよ。」との命令を
出しますが、「船長という肩書だけでは、部下は服従しないよ。」
とチーフが反発します。優柔不断な船長の姿を、
部下は良く見ています。
このような緊迫したシーンが続くのは、舞台が沈みゆく船の中だけ
に限定され、各シーンが平行して描かれる事無く、
ストーリーが一直線に進むからです。
「ポセイドン・アドベンチャー」も、ストーリーが一直線に進む
からこそ、息つく間もなく映画の中に集中していける展開でした。
助けが来るのを待っていては助からず、助けを求めて自ら行動する
事が大切であるというテーマも、「ポセイドン・アドベンチャー」
と共通しています。パニック映画ブームを牽引した「ポセイドン・
アドベンチャー」の原点とも言えるこの映画は、
パニック映画の原点とも言えます。
何故かビデオ化もDVD化もされていませんが、かつて繰り返し
テレビ放映されていたのは、娯楽映画に徹していたからです。
私も、「ポセイドン・アドベンチャー」を劇場で見た少し後、
テレビ放映で、この映画を見ました。現代でも十分楽しめる
娯楽映画なので、是非DVD化して欲しい作品です。
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